日本拳法とは

八要の心得

心・身・気・力・技・術・法・道

日本拳法とは

拳法は心と身に胎る。故に心は純誠に、身は健全なるを要す。

拳法は気と力に発動す。故に気は旺盛に、力は強靭なるを要す。

技は攻防をつくり、術は勝敗を決す。故に技は形動を正し、術は変化に妙なるを要す。

法は技術を治め、道は人を育む。故に法は理に生れ、道は自然に合するを要す。

これを拳法の八要という。

八要をかね修めるところ拳法も、人も、ともに完成の域に到達する。

日本拳法の歴史

日本拳法とは

日本拳法の誕生

東洋には、古くから諸派の拳法が伝わっている。いずれもみな長い道統を有するが形(型)の拳法である。だが、私が昭和7年に創始したこの日本拳法は乱(らん)の拳法であった。 防具を創案し、それを着装して、お互いに自由に撃ち合って、拳の法を修めるものである。

初めてこの世に生まれた乱の拳法には、もとより師家もなければ、道統もなかった。われわれの修行と研究は、いわば、人跡未踏の大陸を探求するようなものであった。

日本拳法の概要と特徴

日本拳法は、素手の格技である。その技術構成は、拳の突打、足の蹴りなどの博技(うちわざ)と、組みついた場合の投技、関節の逆技などの諸技とを総合したものである。

人間の最も本来的な格闘技術である。その特徴は、突打蹴の博技に対して、創案の防具を着装して、安全に、かつ自由に撃ち合って稽古をすることである。 この稽古法を乱(らん)稽古といって、練技の主流とし、また、この様式によって、いままでできなかった試合を可能にした。

防具草案

従来の形(型)稽古から自由な撃ち合い稽古へ

拳の格技は、組打ちの格技とちがって、修技者の両名が、相対して互いに自由に技を戦わせて稽古することは、きわめて危険である。 これがため、拳の格技の稽古法は、古くから補助的な独り稽古をしたり、また修技者同志が形(型)の形式で稽古してきたものであった。 もちろん、独り稽古も形(型)稽古も、拳法の修行には必要、かつ大事なことではあるが、ただ、これ一辺倒の修練をしていると、いろいろな欠陥や弊害を生じてくるものである。

実際に役立つ、実法を修練するには、どうしても自由に撃ち合う稽古をする必要がある。そこで私は、自由な撃ち合い稽古を工夫考案したのである。 もちろん防具のないときのことであるから、互いに拳足を相手の体に当てないように、その寸前で止める空撃をもって、撃ち合いをすることにしたのである。 そこで、まず、約束組手、自由組手、真剣組手の三つの稽古法を創ったのである。

防具の創案と乱稽古の誕生

自由組手の出現は、いままでの拳の技法を一変させた。しかし、なんといっても、互いに空撃の撃ち合いでは、不十分なところがあり、それなりの欠陥もできてくる。 本当に充実した修練成果を収めるには、さらに一歩進んで防具装着による稽古をせねばならない。われわれ自身の手による試作品は実験を繰り返し、できあがった手製の防具見本として、街の専門店へ回し製作されることになったのである。 それからは、防具を着装して思う存分、力一杯の突打蹴をもって撃ち合い、組みついては投技・寝技にも転じ、徒手格技の総合的な稽古をすることとなったのである。

道としての日本拳法

拳法の本来は、いうまでもなく武道である。だが、同時に、スポーツとしてその快味を楽しむこともできるし、また、体育として心身を陶冶することもできる。これは、その受け取り方によって、できてくる相違である。 だがしかし、拳法自体は元来一つのものであって、その受け取り方のいかんによって、変わるものではない。これは、修業者がよく銘記せねばならないことである。

澤山宗海著「日本拳法」より
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