経歴 |
- 昭和38年
- 桃山学院高等学校入学と同時に日本拳法部に入部。
- 昭和40年
- 全日本高等学校選手権に於いて、同校史上初めての3位を獲得。
- 昭和41年
- 桃山学院大学入学と共に日本拳法部に入部、当時同校の監督で日本拳法会の重鎮であられた秋山 剛師範の直弟子として師事を受ける。
- 昭和44年
- 全日本大学選手権大会に於いて準優勝を収め、その後の同大学黄金期を先導した。
- 昭和45年
- 大学卒業後、同大学の指導と共に関西大学O.Bの金先輩(永年の全日本選手権2位・韓国国体跆拳道優勝)の依頼で近隣の中・高校へ日本拳法の指導をする。
- 昭和52年 ~ 現在
- 家業に専念していたが、現在の活動の地である泉北三原台の父母の要請に依り12月1日に堺市では初めての日本拳法の指導活動を始め「泉北桃拳会」と名称付け、三原台小学校・三原台中学校の校庭開放委員長を永年務め、活動拡大をする。その間に全日本拳法少年大会・大阪府スポーツ少年団競技大会の審判部長を共に10年間務め後輩に後を託し、現在、昇段級審議委員、洪遊杯ジャパンオープンの少年部審判長・大阪府スポーツ少年団競技大会審判部顧問を務めながら、少年部・一般部の充実と広布に尽力している。
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